ヴィテルボ 2. とってもキレイ♪ ダンテも詠んだ由緒あるテルマエです
2012年 06月 08日

きゃ〜♪なんて広いプール!
ではなく…
こちらはヴィテルボの野外温泉のひとつ、ブリカーメ〜Le Terme del Bullicame
もちろんフリ〜!!(無料)
もちろん脱衣所も、ない…(笑)
が、「この時」のために
怪獣庭園を犠牲にしてまでも水着を着込んで、チヴィタをも観光したのだ!
ササっスイっ♪とワンピースを脱ぎ、
やぁやぁ〜ゴメンなすって!と、先客に挨拶をし、トポン♪と浸かれば……

うへぇえ〜〜〜!!! なんて極楽♪♪
湯温もちょうどよく、
サラサラとたいへん気持のよい湯のうえ、このシチュエーションでしょ?
心地よさ問答不要の2800万%!!!! でアル (≧▽≦)///
量は多くないけど、底を漁るとミルク色の泥が沈殿しており、
ちょっとしたファンゴ(もどき) ができるのもグ〜♪♪

湯質はとても穏やかでスタンダード。
すンごくキレイな色をしてるが、源泉は無色透明デスvv
どうしてこんなバスクリン色になるのかは不明だが、
そんな事に頭を悩ませるのは無粋というもの。
なるんだからなるんデス!!!

開放的な浴場と違い、柵で囲われ厳重に守られている源泉。
それもそのはず。古くはダンテの神曲、地獄篇第14歌にも出てくる由緒ある温泉で、
後に見える石塔は、その碑になっている。
ダダダ、ダンテってスゴイな〜!って思うけど
地中から無尽蔵にボッコボッコ湧き出してる源泉がダイナミックすぎる!
源泉が何度かわからなかったけど、
水路を通ってるうちに適温になり、浴場に流れ込む。
なるほど、うまいことできてますvv

幸い大きな木が1本生えていて、木陰があったので、
湯というよりお天道さまに脳天焼かれて暑くなると、そこに退散。
寝酒に余ったワインを飲みながら風に当たってると、
言わずもがな…だが、至福の極み♪♪ でありますvv
ジモティ率が高く、観光客はほぼ皆無だが、
清掃も兼ねて係員が巡回してるので安全だし、ゴミひとつ落ちてない。
無料施設なのになんて行き届いてるんだ!さすが教皇の街であるvv
以前入ったワイルドなトスカーナの温泉 (ソレはソレでとてもステキ♪) に比べると、
とってもクリーンで入りやすい野外温泉だと思う。

こちらはもっと浅い膝下、お子様用。
嬉しくなっちゃうくらい広いでしょ?左手にもまだまだ続いてるの♪
だからか大人も遊んでたけど(笑)
というヴィテルボには、他にも、有料無料、たっくさんの温泉があり、
温泉大国ニッポン顔負けの充実度を誇ってる。
しかもローマから約70キロ…と、アクセスも全然悪くない。
だからまた絶対行きたい!!!と思うvv
というのも……
温泉でまったりしすぎて、ほとんど全く!街を見てないから(爆)
ヴィテルボ観光局の人、ゴメンなさい…(^^ゞ
それと、怪獣庭園も行きたいしね……え?しつこい?(笑)
ヴィテルボ 1. 教皇が愛した温泉地
2012年 06月 05日

ボマルツォの怪獣庭園〜Parco dei Mostri にすんごく!!行きたかったんだけど、
時間が押して断念…(道にも迷った)… 本当に残念だわ…(>_<)//
またいつか絶対!!トライしてみる!!うん
そしてやってきたのが、最後の宿泊地となるViterbo〜ヴィテルボである。
現在はバチカンで行われるローマ法王選出も、昔はここヴィテルボで行われており、
決まるまで皆が部屋に缶詰状態になる
「コンクラーベ (鍵がかかった) 」という言葉が生まれた街でもある。
教皇の街として、魅力的な要素を持ってるヴィテルボだが、
個人的にはこっちの方が大事!(笑)
それは…
温泉!! があること〜〜!!!!(≧▽≦)///
実際、この地の温泉は既にエトルリア時代に発見されており、
歴代ローマ教皇たちも湯治に訪れていたという〈テルマエ・ロマエ〉を地でいく歴史を誇っている。
写真は、その名も Terme Dei Papi 〜法王の温泉
もちろん我々もフツ〜に入れる、一大スパ施設である。
巨大な温泉プールが有名で、それにも心が動いたけど、
近くに「もっと楽しい」温泉があるというので、ココは車から眺めて素通り。
さてさて「ソレ」はどんな温泉なんでしょう??
>> つづく… (^^ゞ
チヴィタ・ディ・バニョレージョ 2. チヴィタ流 美味しいブルスケッタを召し上がれ♪
2012年 06月 02日

周囲わずか500mほど。
住民も50人に届くかどうか。
間違いなく今まで訪れた「小さな町」の最少記録を更新してる。
それでもこの特異な景観を持つ町は、
イタリアの美しい町(村・集落) I Borghi più Belli d'Italia にも選ばれ、
ちょっとした観光地にもなっている。
最近日本の映画にも登場してたが…ソレはちょっと…な…って感じ (>_<)// チガウダロ~
とにかく_10年、20年後に、同じこの姿が見れるとは限らない。
細い通りで出逢う人はみな、カメラ片手の観光客である。

厳しい環境の中、
チヴィタの人々はオリーブオイルを作り、生活の糧としてきた。
500年以上続くオリーブオイル農家には、
数十年前までロバが回していたという石臼が残っている。
このロバ君たち、石臼はもちろん、橋を渡って荷揚げをするなど
町の人たちの貴重な「足」だったのだ。
今はバイクがその代わりになってるけどねvv

そのオリーブオイル農家でブルスケッタをいただくことにする。
ってか、ワ〜オ!!この暑い最中に、薪でパン焼くの?
物珍しく炉のそばに立てば、ものの数秒で汗が吹き出てくる。
それでも…
こうやってじっくりパンを焼くのが、チヴィタ流。
カリカリに焼けたパンの表面をニンニクでひとなぞり。
ザク切りトマトを豪快に乗せ、塩をひと振り。
そして、ご自慢のオリーブオイルをたっぷりかける。
たった それだけ…
なのに…

ああ〜なんてシンプル! そして…なんて美味しいんだろう♪♪♪
言葉がでない…ってこのこと。
濃厚でありながら、爽やかに鼻に抜けるオイルのウマイこと!!
カリカリパンに染みた部分がまたウマイ!と、ウマイの連発!である(笑)
チーズを溶かしたブルスケッタもわるくない。
他にも、サラミやトリュフペースト、いろ〜んなトッピングが選べる。
でもでも やっぱこの真っ赤な情熱 トマトがいっちばん!美味しいと思う。
「イタリアを食べてる」そんな気がするvv
もちろんワインも忘れずに!
どぶろくチックな色の濃ぉ〜〜い白がお薦め♪
グラスでもカラフェでも頼めるけど、言わずもがなで後者を選ぶ我々(笑)

家屋というより、3000年!以上前に掘られた洞窟の中にあるこの Bruschetteria
外の陽射しは強烈でも、どことなくひんやり感じるのは、気のせいではないだろう。
で、〆はコレね♪♪
お土産にオリーブオイルを是非どうぞvv
ホント〜〜に美味しいから♪♪

チヴィタのイラストもステキな250cc 卓上使い切りサイズ♪
思わず2本も買ってしまいました(^^ゞ
Bruschetteria Antico Frantoio Via Porta della Maestà

観光業に携わるだけじゃなく、
今でも手づからオリーブオイルを作ってる人や、普通に暮らしている人たちがいる。
この町を愛し、歴史と伝統を守りながら。
いろんな人たちの思いが、この小さな町に詰まっている。
最初に見た時の悲壮感が、
しかし今は、誇り高き姿となって目に映る。
死にゆく町でも、滅びゆく町でもない、チヴィタの雄姿が。

チヴィタ・ディ・バニョレージョ 1. 死を背に ひとり佇む陸の孤島
2012年 06月 01日

いつか行ってみたいと思っていた場所に立った時、
目の前の風景が、現実なのか夢なのかわからなくなることがある。
それほどまでに、遠くから眺めるチヴィタ・ディ・バニョレージョの姿は印象的だった。
鐘楼のシルエットがまるで墓標のよう。
しかしそれがなければ、誰もあそこに、人の営みがあるとは思いもしないだろう。
イタリアの街を見て、純粋に美しい!と思った所は数え切れないほどあるが、
その威容さにおいて、チヴィタはピティリアーノに次ぐオーラを放っている。

お馴染みのアングルだが(笑) ココから撮らずにはいられない。
町をつなぐ唯一の道 緑の渓谷を渡る1本の橋は、まるで綱渡り。
なんてアプローチ!なんてドラマチック!
その長さ、約300m。
この立派な橋ができる前は、
一体どんな橋が架かり、どうやって行き来してたんだろう?と思わずにはいられない。
手前にバニョレージョという小さな町があるが、
それが唯一、外との繋がりとなっている、まさに陸の孤島である。
要塞のような町に近づくと、橋の傾斜がグンときつくなる。
全く遮るものがない天上から、強烈な陽射しが脳天を焦がす。
いつもなら閉口する坂道も、
この劇的な序章のお陰で、全く苦にならないから不思議だ。

遠くから見るより、うんと小さく感じられる鐘楼。そして教会。
広場の石畳ははがれるままで、
運動場さながら地面が剥きだしになっている。
普通の町でいえば、一番賑わいを見せるであろう場所なのに、
カラカラに乾いた地面が、もの悲しさを誘う。

「バーニョ〜お風呂」という名が示すように、
周囲は温泉が噴き出す (温泉はなかったけど…) 火山地帯なんだそうだ。
それが度重なる震災により、地面が崩落。
チヴィタの町が乗っかった山だけが取り残された。
生きる糧は、1本の橋のみ。
人々が新しい生活を求め、町を離れたのもムリはない。
今だって風雨にさらされ、年々、確実に山肌が削られていく。
そしてそれは誰にも止められない。
美しくも印象的な姿とは裏腹に、過酷な運命を背負ったチヴィタは
La citta che muore 〜死にゆく町と呼ばれている。