うわ〜!ステキだな。ココ行ってみたい。うん、行ってみよう!
フォルネッリから30分ほど。辿り着いたその先には、朽ちたアーチと共に草原の中に佇む絵のように美しい教会があったのです。
5世紀には既に教会があったとされ、その後7世紀に
ベネディクト会の礼拝堂が作られたのが始まりだという。
今ある教会は移築や再建を繰り返しながら60年代に完成したもので、清貧を重んじる宗派らしく、外観も内観も極めてシンプルなつくりになっている。
人気は全くなかったけれど、敷地内に修道院があり(ココは立ち入り禁止)、各国から集まった10名ほどの修道女が慎ましく暮らしています。
現在の牧歌的な光景からは想像できないけれど、地理的重要拠点としてフランク王
シャルルマーニュの庇護を受け、最盛期を迎えた9世紀には少なくとも9つの教会があり、居住区や複合施設を持つ一大修道院都市として、大きな影響力と規模を持っていたそうだ。
その歴史は
ヴァチカン図書館に保存されている7冊の美しい写本に残されてくらいだが、サラセン人の襲撃や度重なる地震と戦のせいで疲弊。栄華を誇った修道院はゆっくりと衰退の道を辿っていく。そのうち時の流れにスッポリ埋もれ落ちてしまった。数百年後に起こる奇跡まで。
長い眠りから覚めたのはありがちな話として、ある時、穴を掘っていた農夫が修道院の遺構を発見したのだ。どれどれ…と発掘の手が入ると、そこには地下聖堂や回廊、巨大な食堂に給水システム、キッチンや竈など、黄金期の修道院の名残がまんま遺っていたからさぁ〜大変!
なんでも考古学的に、中世初期に一都市を築くほど大規模な修道院がどのようなものだったのかを知り得る大発見で、まるで “中世のボンペイ” (スゲ〜!!!) のようだと言われたそうな。
これらの遺跡は川向こうの対岸にあり、もともとあった修道院エリアの1/5しか発掘作業が進んでいないようだが、その一部が見学できるようになっている。中でも色鮮やかな
中世初期のフレスコ画で彩られたクリプトは必見らしい。
らしい?…そう…当時は外の景観だけに惹かれて、そんな遺跡があるなんて知らなかったのデス(悲) 今こうやって調べ、知るほど、行ってみればよかった〜ってつくづく後悔している(TT)
祭壇画でも1枚の絵でもなく8世紀の地下聖堂に描かれた彩色壁画って、
高松塚古墳や
キトラ古墳の壁画に匹敵するくらい価値があると思うのよ。見学は要予約で少々手間がかかるかもしれないが、世界遺産になるかもしれない貴重な遺跡。機会があれば見て間違いナッシングだと思いますv ←見てないおメエが言うな!だけど…(^^ゞ
*車でイゼルニア(モリーゼ)から約30分 ローマから約2時間 ナポリから約1時間半
*予約方法はHPにて確認してね。
WhatsApp (+39) 350 175 5970
info@criptadiepifanio.it
現地でGoogleマップを開いていたら、これはなんだろ?って遺跡に気づいたかもしれない。見学ができなくても近くまで行けたかもしれない。でも…この景色だけで胸がいっぱい!だったのです。だってほぅらもぅ〜ステキじゃあ〜ないですか(^-^)
そんな雄大な山影や、ラツィオやアブルッツォとの州境までわずか数キロのモリーゼの西の端っこにいることもあって、どこまでも清々しく、いつまでも眺めていたい姿だったのだ。
どうしてこのアーチが遺ったのかわかんないけど、あると無いのとは大違いで、景観に素晴らしいアクセントをもたらせている。ペンペン草(と命名しておく(笑) と仲良く一緒に、数え切れないほどの冬を越し、数え切れないほどの春を迎えてきたのだろう。まさにミラクルだね。
来た時は誰もいなかったが、夕景を狙ってか若いカップルがやってきて、アーチの前でポージング付きな撮影会を始めだした。だな〜。フォトジェニックな、いわゆる映えポイントでもあるんだよね(^^ゞ それもこのアーチがあってこそ…なのだ。
ジャリジャリと砂を鳴らし、木立を抜ける。
教会に至る道さえもステキだった。なんかドキドキした。
だから帰りはスピードを落としてゆっくり走ってみる。
買い物もしたいし、モリーゼで3番目に大きな街
イゼルニアに行こうか迷ったけれど、ココをチョイスして本当にヨカッタと思う。モリーゼ最後の寄港地としてふさわしい場所でありました。