
まるでデジャブのよう。出迎えてくれる城門はオラティーノのソレとそっくりだ。広さも同じくらいで兄弟のように似ているが、
アンジュー時代まで遡るというフォルネッリの城壁(要塞壁)の方が歴史が古く、モリーゼで最も保存状態がよいと言われていますv
旧市街をグルリと囲む城壁は、7つの物見塔を従えていることから「7つの塔の村」とも呼ばれており、ワクワクするよな狭い通路やトンネルを通って城壁沿いを歩けるようになっていて、標高500mからの絶景パノラマを臨むことができる。
肥沃な大地の向こうに沈む夕陽は特に美しいそうで、その名も via belvedere に立てば、そうか、そうだよね〜と、たとえ見ていなくても、容易にその光景が浮かぶほど眺めが良い。
キッチリミッチリ家屋が建ちならぶ壁内は、迷ってこそ正義!なハッピー迷路だ。
プーリアなど南イタリアで見かけるコの字型の長屋スタイルも発見!モリーゼにもあるんだね。ちょっと珍しいかも〜な、パチリ。
にしても今何時?3時?お昼寝タイムなのか全然人がいません(笑)
かと思えば…大好物な路地からのぞく洗濯物な光景も!
同ンなじようなモノばっか撮ってるが、好きだから仕方ない(笑) ちょっとした住民の息吹が感じられる風景って、どの国、どの町へ行ってもトキメクもの(⁎˃ᴗ˂⁎)
イタリア国内はもとより世界各地の絶景や風光明媚な場所を巡る
“Kilimangiaro” という紀行番組で紹介されたことから一躍脚光を浴び、その年の1位を決める I Borghi Piu'〜のコンテストでは、2016年に6位にランクインしたこともあるフォルネッリ。今は眠ったように静かだが、パリオなど伝統的な行事が続く8月ともなると、村の様相は中も外も一変することだろう。

そこここに I Borghi Piu'〜の赤い旗が掲げられていたように、日本人なアタシが足を運ぶくらいこの肩書はそれなりの集客効果があると思うンだが、それに応えるように、住民も I Borghi Piu'〜であることに誇りを持っているんじゃないかな。
それはゴミもなく花や緑で彩られ、どこを切り取っても絵になる村の雰囲気から伝わってくる。そう_
イントロでもフォルネッリの写真を使ったほど感じがよい所でしたv 当初はモリーゼで3番目に大きな街
イゼルニアに行くべきか迷ったけれど、来てよかった〜♪アタシはやっぱ小さな町や村が好きだ!うん。
〈 オマケなトリビア 〉
イタリア系アメリカ人として。また女性としてアメリカ史上初の下院議長になった
ナンシー・ペロシの母方の祖父は、ココ、フォルネッリの出身である。来歴はよく知らないけど名前は聞いたことがある(!!)彼女。なんかスゲ〜!と思ったので…(^^ゞ
美観に努める姿勢の現れだろう。この規模のボルゴとしては要所要所にキチンと説明表示があったり、パノラマビューの小さな広場〜piazzeta にはご覧のようなステキなご用意があったりと、ホスピタリティにも溢れている。
その最たる者が、人気が全くなかった通りからヒョッコリ現れた5歳くらいの少年〜ファン君である。最近、声をかけられる第一声がコレでちょっと凹むんだけど…
「ねえねえ 中国人?」
「いやいや ジャッポネーゼだよ」
「ふぅん。なにしてるの?」
「散歩しながら写真撮ってたんだよ」
「ふぅん。……あ!それならもっと良い場所があるよ♪ついて来て!」
と、物怖じも人見知りもナッシングな彼が連れていってくれたのが、この場所だったのである。
次にやってきたのがコチラ。
おっ!なんだこれは?そうだ。ねえねえ、座ってみて。はぁい、撮るよ〜ソッリィ〜ディイ〜♪♪
アタシのおバカなイタ語でもファン君相手ならなんとかなる(笑) こっちこっち。あっちだよ〜と、案内する彼と、いつの間にか遠い親戚の子のように仲良くなってしまった(⁎˃ᴗ˂⁎)
*当時は意図的に作られた映えポイントかと思っていたけれど、モリーゼ出身の若者が読書を通じて観光を促進しよう!と2015年に発足させた
Borghi della Lettura のモニュメントであった。モリーゼから始まったこの運動は、現在
イタリア全土に広がっているという。
何かのお礼の時に…と用意していた寿司ストラップが、ミラクルな事にバッグの中にあったので、別れ際、ガイドのお礼の感謝状を一筆書いて一緒にプレゼント。それがもぅ〜目をキラキラさせて喜んでくれたので、アテクシもホント〜に嬉しかったデス♪♪
多分もぅ会うことも叶わぬ文字通りの一期一会。だからいいのかもしれないし、だからちょっと寂しくもある。せめて時々この写真を眺めては、ファン君がどれだけ大きくなったか想像したいと思う。ありがとうファン君。ありがとうフォルネッリ♪